孤独な少女時代、両親の離婚
過酷なアルバイト生活、そして自殺未遂
様々な過去を乗り越えてきた彼女はいま
石垣島で鍼灸院を開業しようとしている
「信頼」という言葉を何よりも大切にするという
そんな彼女が秘める想いとは

橘 美妃(仮)Miki Tachibana

1991年4月10日生まれ。神奈川県出身。
「たちばな屋」を開業し、鍼灸・美容・健康を事業として展開していく中で、
講師として美容・健康セミナーを全国で開催。鍼灸師の資格を持ち、美容や健康に対する知識と経験は一流のプロフェッショナル。

橘 美妃(仮)Miki Tachibana


1991年4月10日生まれ。神奈川県出身。
「たちばな屋」を開業し、鍼灸・美容・健康を事業として展開していく中で、講師として美容・健康セミナーを全国で開催。鍼灸師の資格を持ち、美容や健康に対する知識と経験は一流のプロフェッショナル。

PROFILE

幼い頃から特殊な厳しい家庭環境で育ち、自殺未遂の経験をもつなど、 つらく壮絶な人生を歩んできた彼女。そんな彼女が展開していきたいという石垣島での鍼灸院の開業。 なぜ彼女が鍼灸師という道を選んだのか、なぜ彼女がたくさんの方から支持されるのか。 彼女が歩んできた人生を追うとともに、彼女の人としての在り方をここにご紹介させていただこう。

実業家の家庭で育った幼少時代

実業家の家庭で育った幼少時代

想像以上の厳しい環境で育つ

私の家庭は少し特殊な家庭で、父親が社長であり先祖代々から個人事業主として事業を行う実業一家でした。
そして私の教師は母親で、家庭教育の環境で育ったために8歳まで同級生と遊んだことは一度もなかったです。
当時、習い事は片手で数えられないほど、それでも少ないと言われていましたし、
学校の登下校さえも厳しく言われるほどで、私が見るニュースやテレビ番組も制限があったし、
漫画も読めない、友達とのお付き合いでさえも両親が選んだ友達としか付き合ってはいけませんでした。
そして私は長女だったので、将来は父親の会社を継ぐか、もしくは社長夫人として何処かに嫁ぐか、
そのどちらかの選択を小さい時から迫られていて、高校生の頃には3回ほど両親に取り決められたお見合いもしました。
そんな特殊な家庭環境の中で育ってきたんです。




私の家庭は少し特殊な家庭で、父親が社長であり先祖代々から個人事業主として事業を行う実業一家でした。 そして私の教師は母親で、家庭教育の環境で育ったために8歳まで同級生と遊んだことは一度もなかったです。

当時、習い事は片手で数えられないほど、それでも少ないと言われていましたし、 学校の登下校さえも厳しく言われるほどで、私が見るニュースやテレビ番組も制限があったし、 漫画も読めない、友達とのお付き合いでさえも両親が選んだ友達としか付き合ってはいけませんでした。

そして私は長女だったので、将来は父親の会社を継ぐか、もしくは社長夫人として何処かに嫁ぐか、 そのどちらかの選択を小さい時から迫られていて、高校生の頃には3回ほど両親に取り決められたお見合いもしました。 そんな特殊な家庭環境の中で育ってきたんです。


つらくて苦しい過去

つらくて苦しい過去

自殺未遂をした経験も




中学生になると、いじめに遭って私は不登校になりました。半年しか通っていません。
私の親友が警察のお世話になり、さらには両親が離婚したりと、
色々なことが重なってしまい目の前が真っ暗になり、それからグレたので中学生の頃はヤンキーでしたね。
つらくて悲しくて、自殺未遂も何回もしたけど死にきれず、これまで交通事故にも何回も遭いました。
不登校の時は国会ニュースを見たり、日経新聞を毎日読んだり、
六法全書を独学で学んだりして過ごしていたので、政治や経済に関する知識は多かったと思います。
今でこそ、私自身も離婚を経験してるし、戸籍も独立しているので、天涯孤独。
本当に特殊な人生を歩んできているなと思いますね。




中学生になると、いじめに遭って私は不登校になりました。半年しか通っていません。 私の親友が警察のお世話になり、さらには両親が離婚したりと、 色々なことが重なってしまい目の前が真っ暗になり、それからグレたので中学生の頃はヤンキーでしたね。 つらくて悲しくて、自殺未遂も何回もしたけど死にきれず、これまで交通事故にも何回も遭いました。

不登校の時は国会ニュースを見たり、日経新聞を毎日読んだり、 六法全書を独学で学んだりして過ごしていたので、政治や経済に関する知識は多かったと思います。 今でこそ、私自身も離婚を経験してるし、戸籍も独立しているので、天涯孤独。 本当に特殊な人生を歩んできているなと思いますね。

中学を卒業すると、全日制の通信制高校に通いました。
初めてのバイトはメイド、そしてリラクゼーションサロン、
それからコンビニ、ドトールなど仕事はかなりたくさん経験しましたね。
そこでお金の価値というものと仕事に対する意識、働くって意味を高校生の時点で認識し始めていました。
同時に、昔から両親には今後将来につながることをやりなさいと育てられていたので、
手話や介護・老人センターでボランティア活動もしていました。
私には育ての親というものが何人かいて、その方達からは色んな話を聞かせてもらったし、
たくさんの経験をさせてもらいました。当時の経験や知識は今にも繋がっていますね。

中学を卒業すると、全日制の通信制高校に通いました。 初めてのバイトはメイド、そしてリラクゼーションサロン、 それからコンビニ、ドトールなど仕事はかなりたくさん経験しましたね。 そこでお金の価値というものと仕事に対する意識、働くって意味を高校生の時点で認識し始めていました。

同時に、昔から両親には今後将来につながることをやりなさいと育てられていたので、 手話や介護・老人センターでボランティア活動もしていました。 私には育ての親というものが何人かいて、その方達からは色んな話を聞かせてもらったし、 たくさんの経験をさせてもらいました。当時の経験や知識は今にも繋がっていますね。

鍼灸師の道へ

鍼灸師の道へ

祖父の遺言にあった想いとは

高校卒業してからは針と灸の専門学校に行って、鍼灸師になりました。
鍼灸師になったのは、おじいちゃんの遺言の中に
「高校生のうちに手に職をもちなさい。これからは女性が1人でも生きていける時代になるから、
女性の価値が高まっていく時代になるから、1人でも生きていけるように今のうちに手に職をつかんで生活していきなさい。
家のことは、会社のことは考えなくていいから。女性でも妊婦でも老婆になっても鍼灸師はできる仕事だよ」と。
そうあったからです。だから、私は鍼灸師の道を選びました。

高校卒業してからは針と灸の専門学校に行って、鍼灸師になりました。 鍼灸師になったのは、おじいちゃんの遺言の中に 「高校生のうちに手に職をもちなさい。これからは女性が1人でも生きていける時代になるから、 女性の価値が高まっていく時代になるから、1人でも生きていけるように今のうちに手に職をつかんで生活していきなさい。 家のことは、会社のことは考えなくていいから。女性でも妊婦でも老婆になっても鍼灸師はできる仕事だよ」と。 そうあったからです。だから、私は鍼灸師の道を選びました。

信用という言葉の価値

信用という言葉の価値

大切なことは人間力

私が常に大切にしていることは、人との繋がりと信用。そして人間力です。
私がその大切さを学んだのは専門学校を卒業して、ネットワークマーケティングという業界に初めて出会ってから。
1度目は失敗を経験しました。何故かというと、どうしても結果がついてこない私が、
自分が参入した会社の企業理念を改めて見つめ直した時に、
何を理念として、どんなビジネスを推奨しているのかが見えなかったんです。
人から聞いただけで調べもせずに気楽に参入してしまった結果ですね。
そこで、この会社でビジネスをするのはダメだなと思い、辞めました。

2社目に出会った同じ業界の会社はまだ立ち上げの段階で、会社の形にすらなっていませんでした。
その時にこれを形にしていくのは面白いと思い、同時に会社への可能性も感じました。
2015年12月に参入し、今では600人という私のチームが全国各地に点在しています。
私が気づいたことは信用という言葉の価値。そして人間力。何よりも大切なことだと思います。

私が常に大切にしていることは、人との繋がりと信用。そして人間力です。 私がその大切さを学んだのは専門学校を卒業して、ネットワークマーケティングという業界に初めて出会ってから。

1度目は失敗を経験しました。何故かというと、どうしても結果がついてこない私が、 自分が参入した会社の企業理念を改めて見つめ直した時に、 何を理念として、どんなビジネスを推奨しているのかが見えなかったんです。 人から聞いただけで調べもせずに気楽に参入してしまった結果ですね。 そこで、この会社でビジネスをするのはダメだなと思い、辞めました。

2社目に出会った同じ業界の会社はまだ立ち上げの段階で、会社の形にすらなっていませんでした。 その時にこれを形にしていくのは面白いと思い、同時に会社への可能性も感じました。 2015年12月に参入し、今では600人という私のチームが全国各地に点在しています。 私が気づいたことは信用という言葉の価値。そして人間力。何よりも大切なことだと思います。

愛される鍼灸師へ

愛される鍼灸師へ

人の役に立ちたいという想い

私が将来目指しているのはDr.コトー診療所のような鍼灸院を、私が愛する石垣島で開業することです。
私がこれまで培った知識や経験を活かして島のみんなの役に立てる自分に、
そしてみんなに愛される自分を目指して日々精進しています。
発展途上であり医師が不足している地域、そして鍼や灸を必要とされている地域に行って、
きちんと私ができることをお届けしていきたいです。
お客様の身体の疲れをとり、悩みを解決し、そして色んな相談を受けながら心のケアもできるようになりたいなと考えています。
そのためには私自身が島のみんなに信用されること。私という人間を知ってもらうこと。
そして頼られる存在であること。人との繋がりを大切に、たくさんの信頼を培っていきたいです。

私が将来目指しているのはDr.コトー診療所のような鍼灸院を、私が愛する石垣島で開業することです。 私がこれまで培った知識や経験を活かして島のみんなの役に立てる自分に、 そしてみんなに愛される自分を目指して日々精進しています。

発展途上であり医師が不足している地域、そして鍼や灸を必要とされている地域に行って、 きちんと私ができることをお届けしていきたいです。 お客様の身体の疲れをとり、悩みを解決し、そして色んな相談を受けながら心のケアもできるようになりたいなと考えています。

そのためには私自身が島のみんなに信用されること。私という人間を知ってもらうこと。 そして頼られる存在であること。人との繋がりを大切に、たくさんの信頼を培っていきたいです。

Photo and Written by Junya Okubo

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